言葉の断片を拾い集めて

要するに下書きに溜まりまくっているダイアリを供養するためのエントリです。

松竹座の春 2014-03-06

松竹座を受け継ぐと言うことが、関ジュを見始めて日の浅いわたしには正直よくわかりません。
おたくは無意識にタレに物語を背負わすことが多い気がしているけど、わたしはれんくんに対してできるだけそういう気持ちを持ちたくないなって、今回の舞台を通して強く思いました。わたしが求めるのはステージに立つアイドルとしての「永瀬廉」だけでいい。そこには立ち位置とか関係ないんだなって。ただ、すきという気持ちだけで向き合っていたいし、見て行きたいなと思います。

春の松竹座の公演を見てすぐ書いたもの。春は脚本が脚本だっただけに、自分のスタンスの決意表明みたいな。春のれんくんは、「漫才」と言う、関ジュとしての笑いの部分に(粗削りながらも)精力的に挑んでいた気がわたしにはしていて、それがすごくうれしくて圧倒された。笑いを強いることはしたくはないけれど、でも「お客さんを笑顔にしたい」はわたしが少ない時間の中で見てきた、ジャニーズWESTが関ジュであった頃の関ジュの根幹にあると思っていて、それをれんくん(新しい関ジュ)も引き継いでくれるのかなあと。本当にこの春は、れんくんが関西Jr.になった春だったなあと思っています。

クリエに立つ自担を見て 2014-05-30

れんくんがいるところが自分のいるところだと自然に思えて、自分も地に足がついた感じです。
公演が終わってみて思ったことは、れんくんはクリエにきちんと関西Jr.として立ってたんだなあと言うことです。
色々なことを書こうとしては中途半端な文字の羅列を下書きに放り込む日々が続いていて、結局春のこともデビューのことも書けず仕舞いでしたが、クリエのことはそうはいかなかった。やっぱり、見ていたいのも書いておきたい(残しておきたい)のも過去でも未来でもなくて、紛れもない「今」なんだなと。今の熱量が自分の中で形になるのがれんくんなのだということが自分にはすべてで、やっぱりれんくんは引力の中心です。

クリエのれんくんはほんとうにほんとうに、かっこよくて誇らしかった。個人的にはクリエを通して、自分の中で少しだけ、れんくんに向き合うスタンスが変わったなと感じていて。これまではただただ「すき」に突き動かされてた自分が、れんくんのやることを信じてみようと思えるようになりました。降りたばかりの頃、れんくんのことをほとんど何も知らなくて、でも約一年ほど見て行く中で、れんくんのやりたいことって言うのはれんくんが生きていく中で多分日々変化していくものなんだろうけど、その変化を信じてみてもいいと思った。以前、れんくんの可能性を信じていると書いたんだけど、「可能性」ではなくて「れんくん自身」を信じてみようと思わされたと言うか。自分の中で、れんくんへの心象距離が一歩近付いた感じです。わたしにとって「信じる」ってことは「裏切られてもいい」と同義で、周囲を含めたれんくんの変化を、たとえそれがどんな変化であっても厭いたくはないです。目まぐるしく変わる世界で走り続けるれんくんを、わたしも同じスピードで追いかけていきたい。そんな風に思わせてくれるれんくんは、やっぱりとってもかっこいいです。


書こうと思っている間に7月になってしまったので、色々サルベージ。的な。記憶は風化されるし美化されがちなので、出来るだけその時思ったことを時差のない感情で残したいのだけど、これが中々如何して。
相変わらずれんくんのことがすきです。